Leadership Insights / それはやる気の問題か

それはやる気の問題か

(2014年04月17日)

日本は多様な問題をあまりにも精神論、つまりやる気の問題に収斂させすぎているのではないかと感じることがある。現在の仕事は昔より格段に複雑化高度化し、難易度が上昇している。昔のプッシュ型営業であれば、多少のスキルさえあれば、あとはやる気でかなり行けたかもしれない。しかしソリューション営業ではそうはいかない。「お前やる気あんのか」と言われても、「やる気が無いんじゃなくて何を提案していいかわからないんです」となる。対面コミュニケーションにおける顧客分析と情報の収集、顧客企業のビジネスモデルの理解、そして提案をまとめる能力を開発すること、つまり成功へのイメージを持たせる能力開発が求められている。

若手社員の仕事は、昔はエントリー仕事、つまり雑巾がけみたいな仕事ややる気でカバーできる単純化されたピラミッド組織底辺の仕事から始まった。その間にいろいろ学んでいく助走期間が長かったように思う。しかし今はそういう仕事は少なくとも新卒正社員からはなくなり、いきなり難易度の高い仕事を担当する。おまけに職場はIT化で静かになり、門前の小僧よろしく学ぶ機会が減り、一方で若者の社会性低下で、自分の仕事を抱え込んで悩む若者が、周辺から支援を得にくい環境になっている。その結果が若者うつの増加だ。その若者に向かって「やる気出せ」は禁句なわけだ。必要なのは能力開発人材育成なのだ。

そもそも日本人はいつから精神論が好きになったのか。私はその背景の一つは江戸時代の武士の世界にあると思う。寛政の改革では武士の体制へのコミットメントを強化する為に、朱子学が政治的意図をもって導入された。江戸時代の日本の繁栄は、なにより長期に平和が継続したことにあり、戦国時代の混乱から長期の平穏に導いた、農本主義と武士の組織忠誠心強化はそういう意味では大きな効果があった。

一方で平和な時代に、士農工商と言われた武士の社会的優位性は、どの程度あったのか。西欧階層社会に比べて大きな違いは、庶民層のレベルにあるようだ。幕末日本を訪れた西欧外国人の記録で共通するのは、庶民層の識字率の高さなど、教育水準や民度の高さだ。
ここからは私の推測だが、平和な時代、武士の優位性を優秀な庶民に理解させるために、武士の世界は精神論を強化し、やはり武士は違うという設定にするしかなかったのではないだろうか。一つの証左として正座がある。日本の正座は、体の構造など様々な意味で合理性が低い座り方で、世界でも類を見ない、きつい座り方らしい。江戸以前には無かった座り方で、千利休の時代の茶会でも武士など参加者はあぐらなどが正式だったらしい。それが畳が普及することで正座が可能になったのだが、武士はこのようなきつい座り方をしている人というプロパガンダがあったという説がある。事実開国前後でも、日本人のみ正座する姿を見せて、日本人はこのようにきつい座り方をする優等民族であるという説明がなされたらしい。
それが明治維新を経て、富国強兵国民皆兵で、庶民にもそのような自虐的な精神論が刷り込まれ、戦争の時代に突入していったのではないか。第二次世界大戦後、西欧人で語られた戦争の狂気について、こんな表現があるらしい。「ナチスドイツのやったことはクレイジーだ、当時のソビエト兵がヨーロッパで行ったことは野蛮だ、それに対して日本軍はマゾヒストだ」。名著「失敗の本質」にもあるように、日本軍の口癖は「必勝の信念を持ってすれば・・・」だし、戦陣訓には「生きて虜囚の辱めを受けず」とあった。精神論とマゾヒズムは表裏一体だったのかもしれない。

スポーツの世界でも、根拠の無い精神論的あるいはマゾヒズム的トレーニング、そこからくる体罰問題など古い体質から科学的トレーニングへ大きな転機を迎えている。JR西日本の尼崎の事故も背景に精神論があったとされている。JR西日本は停車位置や運転時間に関する多少の過誤でも、「たるんでいるからそうなるんだ」という精神論にして、日勤教育などを課した。その結果があの事故だ。ちなみにJR東日本では、重大でない過誤は責任追及ではなく原因究明再発防止に注目せよと、繰り返し指導しているらしい。
私が委員を務めた「検察の在り方検討会議」でも、大阪地検特捜部事件では、大阪の幹部上層部の叱咤激励が冤罪の背景の一つであると感じた。

成果主義のおかしな解釈も精神論風土があってこそではないか。以前から申し上げているが、成果主義は金銭的報酬を用いた外発的な動機付けの仕組みであり、それは本質的に良い方に機能しないという指摘があった。それが証拠に多くの企業の成果主義の表書きに、「メリハリのある成果主義賃金制度で、組織の活性化を目指す」とあるというのだ。私はこの説明を聞いて強い違和感を感じた。外発的動機付けが一般的には長く機能しないこと、内発的動機が大事なことは昔から常識で、逆に言えばどうして「モチベーション3.0」といった本が今更売れるのか、正直不思議だった。

それでは多くの企業はなぜ「成果主義」と呼ばれる賃金体系に変更し、いまだに年功賃金に戻さないのか。それは年功賃金のままでは高齢化に対応できない、あるいは人材市場の流動化に対応できないという、純粋に賃金管理手法上の問題だったからなのだ。1990年代後半当時、多くの企業の人事の人から相談を受けたり話を聞いたが、賃金制度改革の目的をまずモチベーションや活性化と説明した会社は皆無だった。

職能資格制度の時もそうだったように、人事は表書きには本音は書かないのは常套手段なのだ。聞こえの良いお題目として精神論好きの日本で選ばれたのは組織活性化でありやる気の向上だったのだ。金で人のモチベーションをそんなに向上できるなんて、日本の人事も馬鹿ではないので、考えていなかった。一つあるとすれば、ハイパフォーマーの賃金体系への不満を少しは和らぐようにしたかったというのはあるだろうが、それは動機付け要因ではなく、衛生要因としての対処なのだ。

もちろんやる気、モチベーションはまったく意味が無いと言っているわけではない。まず理解しなければならないのは、明確な方向性を伴わないムード的なやる気、テンションと言ってもよいものは、組織のパフォーマンスには結びつかないということだ。組織のパフォーマンスを向上させるのは、明確な目的意識のあるコミットメントなのだ。自身の仕事に対するもの、自身のキャリアに対するもの、チームや会社全体に対するものなどコミットメントは重層的なものだが、どの対象に対してでも、「目的意識の明確な積極的関与」が重要なのは言うまでもない。

内発的動機に基づくコミットメントの強化はどうすれば可能なのか、様々な書籍などでかなり語りつくされている感があるが、実行は簡単ではない。ここではあえて基本的考え方だけ整理しておきたい。

1) まずは自身の仕事や組織ビジョンに対する納得性意味性である。そのためにも健全な意味性の背骨である健全な仕事観の確立という人材育成と仕事の背景や意味を理解させる組織コミュニケーションが欠かせない。
2) 二番目がプロセスの自由度だろう。人はそれぞれ特有の、心的機能の利き手ともいうべき動機を持っており、それがその人の個性につながっている。それを生かして能力を発揮するには多くの場合仕事プロセスの自由度と試行錯誤が重要だ。やり方を縛りすぎると利き手を使いづらくなる。単なる権限移譲ではなく、上司側のコーチング的支援的コミュニケーション能力の開発などが重要になる。
3) 三番目は自己効力感と成功イメージではないだろうか。過去に自分で考え実行し成功し、ポジティブフィードバックを通じて認知された経験を持つほど、自己効力感、自己肯定観は高まり、成功イメージがあらかじめ湧きやすくなる。チャレンジしない人は、失敗が怖いというより成功する気がしないというケースが多いようだ。自分で考えさせ、やらせて、認知するマネジメントがこれを育てるのだ。

感受性は人間性ではない。感受性とは相手を観察し分析し理解しようとする習慣でありスキルなのだ。同じように柔軟性は資質ではない。自分と自分の置かれた状況を客観的に理解し、最適な行動を選ぶという習慣が身についているかどうかが大きいのだ。気づいて学び行動変容し、それを継続させることで、新たな思考行動特性を身につけることは何歳からでも可能だ。逆にそれを怠り、特定の環境のみで機能するスタイルが固定化してしまえば、変化の激しい環境では、組織にとっても本人にとっても悲劇だ。なんでも安易にやる気や精神論、人間性や資質の問題にしないで、本人や上司の能力開発人材育成の問題として捉えようとする努力が重要で、それこそが人が中心の、人が優位性の源泉となる組織を作る原点ではないだろうか。

高橋 俊介


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コメント (3)

匿名:

精神論のような言動を私も今なお耳にします。
気合を入れようにも清く平常の心でとりくまないと肩が凝ってうまく働けないので、気合を入れるための心構えを併せ持ってゆけるよう。指導する側の申し添えは不可欠かと。単に気持ちやがんばりだけに注意すると、中庸に欠けるわけで問題です。


さて、そもそも精神に対する捉え方が、明治維新までの日本に対し西洋では、科学の対象から切り離されてきたことの反省を、いま科学として捉えようとしている動きを目にします。日本では、物心両面そなえもつことが古来より仏教などの影響から受け継がれてきましたけれど、明治以降の文明開化で心ぬきにした科学の輸入によっていままさに心の無い科学が花咲いているようです。
しかし、西洋では心の問題を心を抜きにしてきた科学で捉えることが難しく、急ピッチで精神論、とくに心理学の面でここ100年くらいは大規模にとりくんでいるようです。いまでは行動心理などをまた輸入でもって日本にも導入する動きも目にします。しかしこれまでの輸入された科学において、心は別の旧来型科学でとらえつつも、マネジメントとしては心の問題が無視できないですので、捨て去ったようなものである四書五経にだれも目を向けないで居るようですが、そこには数百数千年にわたる人間の知恵が書き残されているわけであり、その源泉をよみとって今にふさわしいマネジメントやコーチングの革新をおこなえば、いがいとスムーズに日本でも広まるのではないかと考えたりしています。


長々と失礼しました。


2014.4.17 草根裏方門

qualias:

人が中心の、人が優位性の源泉となる組織を作る原点とは

『人を動かす』『道は開ける』の著者であるデール・カーネギーや、世界的な大ベストセラー『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』の著者スティーブン・R・コヴィーなどが影響を受けた心理学者アルフレッド・アドラー。
アドラーは原因ではなく目的で考えよと説いている。

「他者からの承認を求めることの否定」「他者の期待など満たす必要はない」「他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない」そしてアドラーは「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」という言葉を残している。
つまり、やる気という問題はそもそも存在しないのである。

そして、臨済宗の白隠然師はこう述べられている。

白隠の教え

衆生本来仏なり
直に自性を証すれば
此の身即ち仏なり

すべての衆生は生まれながらにして仏性をそなえている
みずから深い禅定により直に「本来の自己が仏心である」と体験自覚すれば、そこは無我の世界「空」の境地である
それは生死を超越した世界であり、ここが浄土であり、この身がそのまま仏である
無我の境地は遠くにあるのではなく、自分自身のうちにあるのだからほかへ探しに行くことはない
まず自分の内奥を徹見せよと

匿名:

Antes de que preguntéis, Aute ha confirmado que irá dos veces porque se le olvidó apuntarse a la Flotilla de la Libertad y, tras hacer auctirítoca, decidió purgarlo así.

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