いざなぎ景気を超えて~『不易流行の経営学』


日本経済がいま再び輝きを取り戻しています。2002年2月に始まった現在の景気拡大期は1980年代後半のバブル景気をすでに抜き、このまま景気拡大が11月まで続いて戦後最長の「いざなぎ景気(1965―70年、57カ月)」を超えることがほぼ確実視されています。期間的な長さだけでなく、景気の力強さにおいても目を見張るものがあります。
・東証1部上場企業の2006年3月期決算は3年連続で過去最高益を更新。これに呼応して7月の企業への配当課税額が昨年度比75%増の9338億円に
・2002年3月末に8.4%だった銀行の不良債権比率は2006年3月末には1.8%に低下
・個人の消費意欲を示す「消費者態度指数」も15年ぶりの高水準。「百貨店の外商で高額商品が飛ぶように売れている」、「六本木で深夜にタクシーがつかまらない」などバブル期を髣髴させる街角景気
・家計の金融資産に占める株式・投資信託のリスク資産の割合が、2001年度末9.6%から2005年度末の15.4%に上昇。貯蓄から投資への資金の流れが鮮明に
・9月1日の与謝野経済財政・金融担当相の談話「国内で見る限り、あらゆる指標は改善の方向にベクトルが向いている」、「日本経済について、景気腰折れを心配する必要は全くない」
持続する好景気の傍ら、2007年には団塊の世代が大量に退職し始めます。業務に熟達した人材がごっそり抜けることで技術・技能の伝承が途絶えることを懸念し、企業は昨年ごろから一斉に新卒や経験者の大量採用に動き出しています。総務省が発表した7月の完全失業率は前月比で0.1ポイント低下の4.1%。厚生労働省発表の7月の有効求人倍率も1.9倍となり、今や人材需給はバブル期並みの売り手市場です。「内定を10社以上もらう学生や、中堅・中小企業から3割~5割増の給料で大企業に引き抜かれるエンジニアが続出」とマスコミなどで報じられています。
表面的にはバブルの再来かと思わせるほどの賑々しさですが、エコノミストは「雇用・設備・債務の“三つの過剰”が解消され日本経済が筋肉質になったので、バブル期のようにいきなり景気が失速するリスクは低い」と見ています。日本経済が筋肉質になった理由、それは言うまでもなく日本企業の“ひたむきな経営努力”の結晶です。本来日本企業は、トヨタを筆頭に「現地、現物、現場」を尊び、易きに流れず、弛まざる改善によって体質を強化する企業文化を築いてきました。その原点はおそらく、第二次大戦で荒廃した日本の経済と産業を復興させるために来日した品質管理の権威エドワード・デミング博士の薫陶を受けて、日夜品質改善に取り組んだ戦後の経営者たちの涙ぐましい努力でしょう。さらにその後TQM(Total Quality Management、総合的品質管理)の概念が導入された結果、「品質は上流工程から作り込むべきもの」という発想が広がりました。T型フォードの大量生産で誕生した初期の米国流品質管理手法では、「不良品が出たら最終工程の品質検査ではじけば良い」という安直な発想が主流でした。しかしこのやり方では不良品そのものの発生率を下げることができないため、製品の歩留まりが上がらず、いつまでたっても生産性、収益性が向上しません。これに対しTQMでは、不良品の発生原因を上流工程に遡って突き止めることにより、「不良品をはじく」発想から「不良品を作らない」発想へとパラダイムシフトしたのです。幸運なことにTQMは、「和をもって尊しとなす」日本人のチームワーク気質と非常に相性が良いものでした。現場の技能工と大卒の設計者が膝を交えて品質改善に取り組み、現場が設計に「そんな設計では現場じゃいいモノは作れないぞ!」と何度も図面をつき返しながら上流工程での品質作り込みを行っていきました。さらに、異なる部門間での非公式な情報交換やすり合わせもチームワーク指向の日本人には分がありました。「どうすれば、よりコンパクト・高精度に作れるのか」を組織横断的に徹底的に追求することで、世界最小、世界最高精度のオンリーワン製品を次々と世に送り出すことが可能になりました。
このように見てくると、「現地、現物、現場」主義、チームワーク、作りこみ、すりあわせなど日本企業に深く根付く美徳は、松尾芭蕉の説く「不易流行」の「不易」に当たる部分ではないかと考えられます。これは『奥の細道』にある「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」に由来する言葉で、「不易」とは世の中の状況が変化しても変わらないもの、変えてはいけないものを指します。1990年のバブル崩壊で日本経済はその後10年越しのデフレスパイラルに突入しますが、その間も「不易」にこだわり、粘り強くコスト低減と新技術開発を続けてきたからこそ、液晶やプラズマ、ハイブリッドエンジンなど、今日の日本の好景気の起爆剤となり、世界に日本の技術力の高さを改めて印象づける製品群を生み出すことが可能になったのではないでしょうか。
一方「不易流行」の「流行」とは、状況の変化に従って変わっていくもの、変えていくべきものを指します。「不易」と並んで今日の好景気持続の鍵を握るのが、「流行」にあるのではないかと考えられます。バブル崩壊以降、日本企業を取り巻く環境は大きく変わりました。主なものを挙げても、経済のグローバル化(特に、日米間のバイラテラルな国際関係から日米欧亜のマルチラテラルなグローバル化への進化)、IMF危機と韓国サムソンの躍進、BRICs(特に中国)の高度経済成長、米国流株主資本主義の伝播とM&Aの増加、エンロンの崩壊と内部統制(SOX法)の導入、情報システムのオープン化、インターネットの普及とネット経済の拡大などがあります。この中でも特に、過去10年間のサムソンの変貌ぶりは「変化への適応」という点で際立って目を引きます。周知の通り韓国は1997年に深刻な経済危機に見舞われ、IMFによる救済措置を受けることとなりました。サムソン、LGを始めとする大手財閥は激烈なリストラを余儀なくされ、そのパワーは大きく低下します。しかしその後サムソンは、IMF危機をバネに企業体質を根本から作り変え、携帯電話、メモリー半導体、液晶パネルなどいくつもの先端産業分野で、日本企業を凌ぐ国際競争力を獲得することに成功しました。特に華々しい成功を収めたのは中国市場で、エニーコールのブランド名で知られるサムソン製携帯電話は中国市場においてトップブランドの地位を占めるまでになっています。中国での成功を可能にしたのは、地域専門家と呼ばれるリーダー人材たちです。サムソンは人材開発に非常に力を入れている企業で、サムソングループの人材開発の総本山「人力開発院」を中心に、グループ25社の社員教育を猛烈に推進しています。地域専門家は人力開発院の研修メニューの一つで、1年間かけて現地の文化、歴史、習慣を徹底的に学ぶ海外留学制度です。地域専門家は研修終了後、留学先地域の事業リーダーとして抜擢され、サムソンのグローバル化を担います。制度ができた1990年以降、延べ900人近くが中国の地域専門家として育っていきました。人材育成についてはどちらかと言えばOJTを重視してきた日本企業ですが、変化への対応力強化という面からは、サムソンのように「OffJTの戦略的活用」を視野に入れるべき時期に来ているように思えます。
「不易」(=日本企業のDNA)を堅持しながら、「流行」(=新たな環境変化)にどれだけ柔軟に対応できるかどうかで、今後日本経済がいざなぎ景気を超えられるかどうかが決まるといってよいでしょう。