未来学の進化論(II)


前回のコラムでは、「未来学」という異色の学問分野にスポットライトを当て、紀元前から今日に至る変遷を振り返りました。今回はいよいよ、未来の「未来学」について考えてみたいと思います。
前回のコラムで述べた通り、日本では1960年代に科学万能主義に基づく第一世代の未来学の絶頂期があり、その後徐々に下火となっていきました。一方米国では、米ソ冷戦時代に対処するために、シナリオプランニングと呼ばれる第二世代の未来学が発展していきます。不思議なのは、なぜ日本では第二世代の未来学が米国のように大きく開花しなかったのかという点です。その謎を解く鍵は、戦後日本の政治経済の発展モデルにあるのではないかと考えられます。冷戦時代の日本は、日米安全保障条約を締結してアメリカの核の傘に入りました。その結果、国際情勢を独自に分析して冷戦に対処する必要性が薄れ、シナリオプランニングを中心とした第二世代の未来学に対する政治的ニーズが高まりませんでした。一方経済面では、アメリカが生み出した家電、自動車、半導体、コンピューターなどを次々輸入し、それを遂次国産化していくことで成長を持続する事ができました。つまり政治、経済の両面において、戦後の日本は未来の予測をアメリカに任せておけばよかったのです。「未来は常に米国に存在していた」という言い方もできるでしょう。米国の様子さえ見ていれば、それが何年か後に必ず日本の未来となって現実化する。そうであるならば、タイムマシンに乗って未来(=アメリカ)に行き、そこで何が起こっているかをつぶさに観察して、日本で誰よりも早く事業化するという経営マジックが成り立つはずです。ソフトバンクの孫正義氏はこれをタイムマシン経営と命名し、世界に先駆けて米国に芽生えたインターネットビジネスに注目、検索ポータルサイトのヤフーに先行投資することで1990年代後半に大成功を収めました。
ところが21世紀に入り、タイムマシン経営の神通力が徐々に効かなくなりはじめたように見受けられます。一つには、インターネットなどの先端産業における米国の先進性が薄れ、日米でそれほど時間差がなくなってきたこと。もう一つは、アマゾンやグーグルなど米国で成功を収めたネット企業が日本に直接参入し、瞬く間に日本市場を席巻してしまうようになったことです。タイムマシン経営の有効期限が切れかけた今、日本の経営者は改めて未来学に注目せざるをえなくなってきています。
最新の宇宙物理学によると、時空の壁を飛び越える本物のタイムマシンを作ることも理論的には可能性があるようです。しかし残念ながら、21世紀初頭の科学技術では実現の目処は立っておらず、未来を高精度に予測することは当面難しそうです。では近い将来(10年~20年先)を見据えた時に、未来学はどのような進化を遂げる可能性があるのでしょうか?
私は、大きく二つの異なる方向へ進化する可能性があると考えています。第1の方向性は、シナリオプランニングの進化型としての「シナリオボクシング」、第2の方向性は「リアルタイム未来学」です。
「シナリオボクシング」というのはシャドーボクシングをもじった私の造語で、架空の敵(=シャドー)と激しく打ち合うことで腕を磨くシャドーボクシングと同様、起こりえる様々な未来のシナリオを思考実験し、どんなシナリオが現実化しても対応できるように自らの臨戦態勢を整えておくことを表します。第2世代の未来学であるシナリオプランニングが、どちらかというと起こりえる未来シナリオを“描く”ことに力点があるのに対して、シナリオボクシングは多様な未来シナリオの各々に対して打ち手を予め考え抜き、臨機応変に対応できる組織体制を整えることに重点を置くものです。原油価格の高騰や中国経済の異常な過熱は言うに及ばず、SARS、BSE、9.11、イラク戦争、そしてテポドンと、今日の日本を取り巻く環境は過去の延長線では予測できない非連続なシナリオに溢れています。非連続なシナリオのどれが実際に起こるかを精度よく予測しようとしても今の科学技術では限界がある。ならばむしろ予測精度を上げることにこだわらず、“起こりえるどのシナリオが実際に起きても生き延びられるような強靭な頭脳と体力を作ろう”、それがシナリオボクシングの狙いです。「我が社は歴史も古く組織も巨大だから、シナリオボクシングというのは体力的にちょっと辛そうだ。せめて“シナリオボクササイズ”くらいにしておきたいなあ」と腰が引ける経営者の方もいるかも知れません。しかしボクササイズで多少の汗を流し減量するくらいでは、非連続に変化する未来を生き延びることはおそらく難しいでしょう。
次に第2の進化パターンとして私が命名した「リアルタイム未来学」をご説明します。こちらはその名の通り「現在進行形(=リアルタイム)の未来を精度よく予測しよう」というもので、予測精度にこだわらないシナリオボクシングの発想とは逆に、時間軸を思い切り引きつける事で予測精度を大幅に高めようというアプローチです。リアルタイム未来学のイメージを掴んで頂くために、最近注目を集めている「リアルタイム地震情報」を取り上げてみます。地震予知に関しては、未だに日時を正確に予測することは困難です。しかし、地震が発生した後で、地震が伝わるより速いスピードで被災(予定)地に地震情報を伝えることで、被害を最小限に食い止めようというアプローチ、それがリアルタイム地震情報です。なぜそんなことが可能かというと、地震波には伝播速度が速い「P波(初期微動)」と、伝播速度は遅いが大きな揺れを起こす振幅の大きい「S波(主要動)」があるためです。
地震による被害の大半はS波によって起こるので、震源の近くでP波を検知して、それを的確に伝達するシステムが構築できれば、地震の大きな揺れが到着する前にエレベーターを止めたりガスを遮断したりするなどの防災対策を実行することが可能となります。リアルタイム未来学も、P波を捉えてS波の衝撃を予測しようとするイメージです。果たしてそんなことが可能なのか?、と思われる方も多いと思いますが、私が見るところアップルのスティーブ・ジョブズはリアルタイム未来学をすでに会得しているように思われてなりません。
パソコン市場ではマイクロソフトのウィンドウズに押されて苦しい戦いを強いられてきたアップルですが、iPodでダウンロードミュージック市場に華々しくデビューし、ソニーを筆頭とする世界の競合を制して瞬く間にトップシェアを握りました。この仕掛け人がまさにスティーブ・ジョブズですが、彼はいかにしてiPodの成功を予感したのでしょうか?実はiPodの成功に先行する重要なシグナルが当時の米国には存在ました。ユーザー同士が音楽ファイルを無料交換することを可能にしたナップスターです。ナップスターがあまりに革命的であったため、当時の米国レコード協会は猛反発。著作権の保護を錦の御旗に、ワシントンへのロビーイング活動を活発化させると同時に辣腕弁護士を動員して裁判を繰り広げ、ナップスターを事実上の活動停止に追い込みました。しかし実はその過程においてiPod成功の種が密かに巻かれていたのです。レコード業界は、もともと音楽をダウンロード販売すること自体に反対でした。複数の曲をまとめてCDにプレスし販売すれば10ドル、20ドルの値段がつけられるのに対して、ネットで簡単にダウンロードできるようにすれば1曲単位の販売になり、曲当たりの単価も下落する危険性がありました。収益の低下を恐れたレコード業界はナップスター反対の大合唱を展開したのですが、その際にレコード業界が保有していたダウンロード型音楽配信に関する特許が問題になりました。特許法は基本的に、特許保有者が特許を活用した事業を自ら営んでいない場合、第三者からその特許を利用して事業を行いたい旨の申し出があれば正当な対価をもらう事を条件に特許実施権を与えることを義務づけています。レコード業界は自らダウンロード型音楽配信の特許を持ちながらそれを事業化していなかったため、その点をナップスターが突いてきた訳です。これこそまさに“P波”の襲来です。機を見るに敏なスティーブ・ジョブズは、CGアニメーション映画の製作会社ピクサーで培った豊富なハリウッド人脈を駆使し、レコード業界のトップを次々と口説き落としてiPodへの楽曲提供を取りつけたのです。つまりiPodの成功は、ジョブズの人脈とカリスマ性に加えて、ナップスターというP波の意味をいち早くキャッチし、iPod(=S波)の成功を予感したジョブス流のリアルタイム未来学に依るところが大きかったということです。アメリカに日本の未来を映すタイムマシン経営が破綻しつつある今こそ、日本の経営者はリアルタイム未来学に真剣に取り組み始めるべきではないでしょうか。(文中敬称略)
(参考:リアルタイム地震情報利用協議会ホームページhttp://www.real-time.jp/)
■関連用語
シナリオプランニング