人間力とは


最近「人間力」という言葉が流行っているように感じる。人材育成の担当者からは「人間力を強化するコンテンツはないか」とか、「役員向けに人間力を強化するようなプログラムを提案してくれないか」、という話をいただくようになった。
厄介なのはその「人間力」という言葉が何をさすのか明快なイメージがないまま使われていることである。
数ヶ月前から、1日5分、NHKが「毎日モーツァルト」の後に「人間力を鍛える」という番組を始めたのをご存知だろうか。視聴していらっしゃる方もいるかも知れない。タクシーのドライバーに道の記憶の仕方を学んだり、ツアーコンダクターに人の名前の覚え方を学んだり、アイスホッケーのゴールキーパーに動体視力を鍛えるコツを学んだりするのである。もちろん企業の研修担当者が求めているのはこういうことではないだろう。
以前このメルマガで松岡正剛さんとともに新しいプログラムを立ち上げる話を書いた。これはこれまでにない人材育成のプログラムを作ろう。MBA的なものではなく、もっと日本の将来像や、日本人としてどう生きるのかなどについて考えようということでスタートしたもので、試行錯誤をしながら、全部で6日間の講義が実施された。
この中で第4回目のときに、あるジャーナリストをゲストにお招きして講義を拝聴しディスカッションしたことが、人間力に関係あると思うので少し紹介したい。
この回のテーマは「日本の裏社会」で、前述のジャーナリストはいわゆるフィクサーややくざ、暴力団、右翼団体などと独自の接点をもち、彼らに関する取材を長年にわたってしてきた方である。
「明治時代にパリに留学した日本人は当時のパリが糞尿にまみれていて、ひどいにおいがしたことを記している。江戸時代の江戸の町は非常に清潔でそんなにおいはしなかった。君たちなぜだかわかるかね?」という質問から1日の講義がスタートした。日本には、これらを片付ける人たちが裏社会によって組織化されていたという。
そのあとも、いろいろな話を伺い、危ないビデオも見せてもらったが、最後の問いかけは、「もし、これからの日本をグランドデザインするのであれば、みんなはこの裏社会をどうしたらよいと思う?」というものであった。みなさんならどう答えますか?
裏社会とかアンダーグラウンド、アウトローの世界は必要悪であるという考え方もある。一方、最近は潔癖主義的な風潮が強まっているように感じるが、とにかく法にふれるものは一切悪で、そういうものを見つけたら、WEBなどをつうじてとにかく攻撃することに喜びを感じている人が増えているように思う。(どんな人も善な部分と悪な部分の両方を持っていると思うのだが、まるで自分にはまったく悪がない、というような前提で他者批判を執拗に繰り返すのはいかがなものかと思う。)
私は正直この問いに対してどのように考えて自分の答えをだしていったらよいかわからなかった。自分なりに分析するならばフレームワーク思考に慣れすぎているのだと思う。フレームワーク思考に慣れすぎると、まずテーマを扱うのにふさわしいフレームワークを設定し、そのフレームワークで情報を整理してそこから意味合いを見つけ出すことばかり考えてしまう。でも先ほどの問いに使えるようなフレームワークなんてない。むしろどのような哲学や判断基準を持つのか、きれいごとではなくて人間に対してどこまで深く洞察しているのか、これからの将来についてどのようなビジョンを持つのかなど、その人の見識がすべて問われるわけである。
こういうことにきちんと説得力をもって持論を展開できる人というのは、「人間力」を持ち合わせている人だと私は勝手に思った。
たぶん経営者、役員の人たちに何らかの気づきを与えるようなことをするのであれば、まさに答えの出しにくいこと、答えのないことに自分なりの答え、自信をもって人に語れる答えを出してもらうのが一番なのであろう。スキルや知識でもなく、心構えやマインドセットでもなく、本人のものの考え方・捉え方・見識などにチャレンジするのが最善のソリューションなのだろうと考える。もっとも、これらの議論をファシリテートするのは非常に難しいが・・
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