人材教育の新たな地平(後編):気づきの促進方法とは?


前回の「人材教育の新たな地平(前編)」において、「人材開発における気づきの重要性」について論じました。
そこで本稿では、「気づき」を促す上で教育者(教育機関)側がどのような支援を提供でき得るのかについて考えてみたいと思います。最初に、以前私がアメリカの友人から聞いた逸話を紹介します。
時は1980年代前半、ニューヨークに住む新進気鋭の物理学者の夫婦がいた。夫は理論物理学、妻は実験物理学の分野でそれぞれ輝かしい成果を上げており、特に夫は将来のノーベル賞候補とまで囁かれていた。夫婦の間には利発な男の子が一人いた。男の子が6歳になったある年のこと、研究活動のために夫が西海岸の大学へしばらく単身赴任することになった。理論物理学者の例に漏れず、夫は日常生活には全く無関心、無頓着なタイプ。天気予報を見ることもないので、傘を持っていかず、出先で雨に降られてはびしょ濡れになり風邪を引いたりしていた。単身赴任の夫を心配した妻は、毎朝夫のアパートに電話を掛けて、雨が降りそうな日には必ず傘を持っていかせることにした。しかし一つ問題があった。東海岸と西海岸では時差があるため、妻が夫に電話を掛ける時刻には夫はまだ寝ていて、直接電話で話をすることが難しかった。そこで妻は、夫の電話機に毎朝留守番メッセージを残すことにした。「ダーリン、おはよう。ちゃんと傘を持っていって下さいね」しかしこれはちょっとしたミスだった。夫は妻の助言を一言一句忠実に守り、雨の日だけでなく晴れの日も毎日傘を持って出かけるようになってしまったのだ。その結果あちこちに傘を置き忘れるようになり、傘がいくらあっても足りなくなった。賢い妻は考えた。夫が無駄に傘を持っていかないように、出来るだけ正確に指示を出さなくては。そして次のように留守番メッセージを訂正した「ダーリン、おはよう。顔を洗ったら、まずテレビの天気予報を見て。もし天気予報が晴れか曇りだったら傘を持って行かず、予報が雨だったらちゃんと傘を持っていって下さいね」ところが不思議なことに、夫は傘を全く持たなくなってしまい、以前と同じく雨の日にずぶ濡れになった。妻が夫に理由を尋ねると、「だって君からの留守番メッセージが、“もし天気予報が晴れか曇りだったら傘を持って行かず、”というところで終わっていたから」という驚くべき答えが返ってきた。実は、当時の電話機は留守番メッセージのメモリー容量が小さく、長いメッセージは残せなかったのだ。賢い妻もさすがに困り果て、いったいどうしたものかと頭を抱えた。すると6歳の息子が「ママ、それじゃあ明日から僕がパパに留守番メッセージを残すよ」と言い出した。妻は、6歳の子供にろくなアイデアなどあるはずがないと思いつつ、さりとて自分も名案がないので、ものは試しにやらせてみることにした。すると驚いたことに、息子が留守番メッセージを残すようになってから、夫は雨の日にはきちんと傘を持ち、晴れの日には傘を持たなくなった。そしてその結果、ずぶ濡れになることも傘を置き忘れることもなくなったのだった。
さあここで問題です。6歳の息子は、一体どのようなメッセージを残したのでしょうか?(読者の皆さんは、下の回答を見ずに1分間ほど考えてみて下さい)
さて気になる正解は?実は拍子抜けするほどシンプルで、「パパ、おはよう。傘が必要なら持っていってね」のたった一言だったのです。読者の皆さんの中には「なんだ、そんなつまらない答えなの?」と思われた方もいるでしょう。しかし、“気づきを与える”という視点から息子のメッセージを考察してみると、いかに本質的な答えであるかが見えてきます。夫は理論物理学者、妻は実験物理学者で共に極めて知的な人間です。だからこそお互いに、言語表現や論理展開の厳密さ、正確さに必要以上にこだわってしまった。一方息子がやったことと言えば、父親の注意を“傘が必要かどうか”に向けただけ。でも実はそれだけで父親にとっては十分な助言だったという訳です。私たち大人は子供とは違って十分な思考力も備わり、知識、経験も豊富です。ですから“何が問題なのか”に気づきさえすれば、それを“どう解決するのか”は自明であることも多いはずです。前回紹介したサウスダコタ大のChange Blindnessのクイズも、変化した箇所に視線が向いた瞬間に答えは突如として自明なものになります。“課題に気づく≒答えが見つかる”ケースが少なからずあることの証左ではないでしょうか。
しかしそうは言っても、課題に気づくだけでは解決策が見えてこないケースも確かにあります。そんな時にはどうすればいいのでしょうか?この点についてさらに検討するために、デボノ博士の著書「水平思考の世界」に出てくる挿話について考えてみる事にします。
昔ある国に貧しい商人がいた。商人には美しい一人娘があった。商人は仕事にいき詰まり、ある高利貸しから多額の借金をしたが、結局返済できずに困り果てていた。返済を猶予してもらうため、商人は娘をつれて高利貸しの屋敷を訪ねた。すると高利貸しはやっかいな提案を出してきた。「おまえの娘を私にくれないか。そうすれば借金は帳消しにしてやる。」高利貸しはさらに続けた。「ただし、娘に一度だけチャンスをやる。私と賭けをして娘が勝てば、借金は棒引き、娘も自由だ。どうだ、これなら文句はなかろう」商人が返答に窮していると娘が答えた「分かりました。その勝負を受けます」高利貸しは娘に外に出るように促し、二人で小道を歩いた。高利貸しは言った。「この小道には白や黒の小石がたくさんある。私が白黒一個づつ小石を拾って、この皮の財布に入れる。そうしたらおまえは財布の中から一つだけ石を取り出しなさい。それが白ならばおまえの勝ち。黒ならば私の勝ちだ」こう言うと高利貸しは小石を二つ拾って皮財布の中に入れ、「さあ、一つだけ小石を取り出しなさい」と娘の前につき出した。その時、娘は思わず頭の中が真っ白になった。なぜなら高利貸しが財布に入れた小石が、二つとも黒だったのを見てしまったからである。
さてここで問題。「この不運な娘を助けるために、あなたならどんな助言をしますか?」(読者の皆さんは、下の回答を見ずに5分間ほど考えてみて下さい)
デボノ博士の本では、聡明な娘が自力で名案を思いついて見事困難を切り抜ける筋書きになっていますが、ここでは少し趣向を変えて、読者の皆さんに代わって一人の老人を登場させたいと思います。
高利貸しの汚いやり方を目の当たりにして、娘は途方にくれた。『いったいどうすれば・・・』とその時、目の前を一人の思慮深そうな老人が通りかかった。「娘さん、何か悩んでいるようだね」、「はい、実は・・・」娘は手短に高利貸しとの賭けの一部始終を話した。老人は言った。「なるほど、そうなると財布の中には黒い石が二つ入っているという訳だね。そのどちらをあなたが掴んだとしても、手に取った石は必ず黒だ。その石を相手に見せたら、あなたは必ず賭けに負ける。でも見方を変えてみたらどうだろう。あなたが手に取った石も黒だが、財布の中に残った石も黒ということになる」こう言い残すと老人は立ち去った。娘は考えた。『手に取った石を相手に見せてしまったら私は負ける。でも見方を変えたら?財布に残った石も黒・・・。ああそうか、分かった!』娘は財布に手を入れ、小石を一つ手のひらに掴んで取り出すと、即座に手を開いて小石を小道に落としてから叫んだ「あら大変。私が取り出した小石が道に落ちてしまって、どの石か見分けがつかなくなってしまったわ。でも大丈夫。だって財布に残っている小石を見れば、私が落とした小石が何色だったか分かるはずだから」こうして娘は高利貸しとの勝負に見事勝ったのだった。
この老人は私の創作ですが、気づきの促進に関わる重要な能力を発揮しています。それは“問題の見方、あるいは見る角度(Angle of View)を変えさせる”スキルです。
老人は決して娘に答えを教えた訳ではありません。老人はただ、問題の本質を見抜くための目線の変え方をアドバイスしたに過ぎません。しかしそのことで娘に劇的な気づきが起こり、窮地を切り抜ける名案を思いつくことが出来たのです。前回のコラムで紹介したBoringのだまし絵の場合も、絵の眺め方について誰かに教えられた途端、老婆が若い女性に見え始めたり、逆に若い女性が老婆に見え始めたりします。ものの見方を教えられることは、それくらい劇的なことであるということです。「気づきの促進」が人材開発上の重要な要素であるとするならば、それに従事する教育者(教育機関)は、「ものごとの見方、ものごとを見る角度を変えさせる」ための方法論について、深い知見と具体的指導法を有することが今後益々求められることでしょう。
〔参考〕エドワード. デボノ著,白井実訳『水平思考の世界』1971,講談社
高井 正美