時代分析からみえる消費者優位の構造


私たちの提供するリーダー育成のための長期プログラムでは、途中で必ずWhat構築、あるいは課題形成・発見のセッションが入る。参加者たちに時代の先を読んでもらい、これから何にチャレンジすべきかを考えていただくセッションである。このWhat構築を支援するツールとして、いろいろな道具を使うのであるが、その一つに「時代分析」と呼ばれるものがある。
簡単に説明すると、時代を①ある時点より前、②ある時点から今日まで、③今日以降の3つに分け、それぞれの時代に何が起こったか、何が起ころうとしているか、情報を整理し、意味あいを考えてもらうものである。
「ある時点」は参加者に自由に決めてもらうのであるが、たいてい、会社の方針や体制などが大きく変わったときや、業界の環境が大きく変わったときなどが変局点として設定されることになる。そして、情報がすべて整理され、事象の因果関係などについて議論したあと、最後に①~③の各時代に「~の時代」と名前をつけていただくのである。
今年に入ってから、製薬会社、小売業、金融機関で幹部社員の方々とともに、この時代分析を行なう機会があった。まったく違う業界であるにもかかわらず、この時代分析にはある共通点があった。特に①と③の名前の付け方に共通点があったのである。どのような共通点があったかご想像がつくだろうか?
製薬会社で作ったときの①は、「ドクターの時代」③は「患者の時代」、小売業では①「ブランドの時代」③「消費者の時代」、金融機関では、①「会社の論理の時代」③「顧客から選別される時代」だった。
もうおわかりだろうと思うが、ここに共通して見られるのは主導権の移動である。供給者側から、需要者側に主導権が大きく移ってしまった、という認識である。たとえば、病院を例にとるならば、昔は医者が威張っていた。患者を「診てやる」、という態度だった。ところが、最近では、患者がどの病院で診療してもらうか自ら選別したり、今ある病院に通っていてもセカンドオピニオンを参考に病院を変えるような時代になった。今後もその傾向が続くのか、ますます需要者が力を待つのか、もう少し冷静な分析は必要ではあると思うが、ここではその議論はおいておいて、主導権の移動の背景を考えたい。
いろいろな原因はあるのだと思うが、明らかにこの移動を促進していると思われるのは、「情報」である。インターネットや携帯電話の普及で、気軽に情報交換や情報収集ができるようになった。今までは一方的に供給者側からの発信であったが、消費者同士の掲示板などでは盛んに商品の講評や批判などが行なわれている。そしてそのような掲示板にはたいてい、専門的なアマチュアがいて、いろいろと詳しい解説などをしてくれる。
私は個人的にカメラが好きで写真を撮るのだが、レンズに関する掲示板などに行くと、新しいレンズについて徹底的に検証してレポートにまとめてくれる人がいるので、購入の意思決定には非常に役立つのである。メーカー側から発信される情報がメーカーの論理で書かれているのにくらべて、客観的な立場から書かれている。(もっとも人によってはあるメーカーのファンだったりするので偏りはあるかもしれないし、なにせ掲示板なので、実は書いているのがそのメーカーの人かも知れないが・・・)
消費者が大量の情報にアクセスできる時代になると、消費者との接点をどのように持つかは戦略上きわめて重要になる。
小売業の幹部は口をそろえておっしゃっていた。「顧客のほうが販売員よりも情報をもっている」「専門的な質問には答えられない」と。また、これからさらに患者が治療法や薬などについて知識を持ち、医者に対していろいろな要求をする時代になると、製薬会社のMRがドクターに会いにいって自社製品を説明することと、薬を勉強して医者にこの薬を処方して欲しいと患者が依頼することと、どちらが医者の意思決定に影響を与えるかは微妙になるだろう。もちろん製薬会社はとっくに気がついて、患者向けのホームページなどを充実させて啓蒙活動を行いはじめているが、決定打は模索中のように思う。
消費者が賢くなる(がせねたに振り回されるリスクも一方であるが)時代には、顧客との接点、チャネルのありかた、営業マンの資質や行動スタイルが大幅にかわらなければいけないこと、そしてそれを描ききった会社が勝つのだろうということを、改めて感じると同時に、エデューサーとしては、決定打を模索するお手伝いをしたい、と改めて感じた時代分析であった。
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フレームワーク思考