マーケティングにおけるQの進化論


時代の変化につれて、マーケティングのあり方が大きく変貌してきたことはよく知られています。戦後のマーケティングの変遷は、マスマーケティング(Mass Marketing)の時代を皮切りに、ターゲットマーケティング(Target Marketing)の時代へと移行し、今日ではワン・トゥー・ワンマーケティング(One to One Marketing)の時代を迎えている、という捉え方が一般的です。
マスマーケティングとは、全ての顧客が基本的に同じ購買欲求を有していることを前提とした考え方で、同一商品、同一サービスを幅広い顧客に販売するマーケティングを指しています。第二次世界大戦後の圧倒的なモノ不足の時代、そしてその後近代的な米国型ライフスタイルが一気に流入してきた1960年代初頭までは、モノを手に入れること自体が豊かさの象徴であり、人々はこぞって均一的な購買行動に走りました。所得倍増政策の奏功、三種の神器(洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビ)、新三種の神器(カラーテレビ、車、クーラー)の相次ぐ登場で、国民全体が一般大衆という名の“同質の消費者”と化したのです。しかしやがて国民1人当たりGDPが1万ドルを超え、中流階級を自認する人が主流になるにつれて、マスマーケティングでは次第にモノが売れなくなってゆきます。1970年代中頃を境に顧客の嗜好は急速に多様化し、異なるニーズを持つ多数の顧客セグメントに分化していきました。そのためマーケティングも、一般大衆に広くあまねく均一商品を売るマスマーケティングのモデルから、特定の市場セグメントを狙いすまして特徴ある商品・サービスを打ち出すターゲットマーケティングへと変化していきました。さらに1980年代に入ると「飽食の時代」となり、生活する上での基本的欲求は満たされてしまって購買動機はさらに細分化、多様化しました。これを受けて、消費者1人1人のニーズを把握しニーズに応じた個別サービスを提供すべきであるとするワン・トゥー・ワンマーケティングの考え方が生まれ、1990年代を経て今日に至るまで現代マーケティング論の基本概念になっています。例えばアマゾンドットコムのサイトで書籍を買うと、購買履歴がデータベースにどんどん蓄積されていき、「最近こんな本が出版されましたがご興味があるのではありませんか?」といった勧誘メッセージが表示されるようになります。これなどITを駆使した究極のワン・トゥー・ワンマーケティングと言えるでしょう。
このようなマーケティングの歴史を別の角度から捉え直してみると、アルファベッの”Q”が変遷を読み解くキーワードであることに気づきます。
まず最初に、マスマーケティングが成り立った時代とは、「旺盛な需要」が「限りある供給」を大きく上回っていた時代であったと見ることができます。すなわち、Quantity(量)の供給が最も重要視された時代であったと言えます。次にターゲットマーケティングの時代とは何であったのかを考えてみると、顧客が商品やサービスに求める要求が、Quantity(量)からQuality(,質)に転換していった時代と考えられます。可処分所得が一定水準を越えた消費者が、単にモノを手に入れるだけでは満足できなくなり、“より良いモノ”を手に入れたくなるというのはごく自然な流れです。それでは一体、ワン・トゥー・ワンマーケティングの時代とは何を意味するのでしょうか?個人一人一人の興味や嗜好に照準を当ててマーケティングをするということは、突き詰めていくと結局人間の頭の中で起こる様々な感情や感覚にダイレクトに訴えかけるマーケティングを行う、ということに行きつきます。こうなると、人間の脳の様々な働き、特に“意識の構造”を理解することが不可欠になってきます。最先端の脳科学において、意識の構造の問題はホットな研究テーマになっていますが、これを読み解くキーワードがQualia(クオリア)です。クオリアは日本語では通常「質感」と訳されます。
クオリアの概念を最初に提唱したのは、オーストラリアの哲学者フランク・ジャクソンであると言われています。ジャクソンは1982年に書いた論文で、メアリーという名の科学者を主人公とした思考実験を行って意識の問題に鋭く切り込みました。メアリーは生まれた時からずっと白と黒だけに塗られた部屋で生活しているという設定で、白と黒以外の色を実際に見たことは一度もありません。しかし科学的知識を学ぶ機会には大変恵まれていて、脳がどのようにして様々な色を感じ見分けるのかについての学問的理解は十分出来ています。つまり、メアリーは赤い色を実際に見たことはない(つまり、メアリーの脳は赤を見ることを体験したことはない)が、赤を見ると脳の中でどのようなプロセスが起こるのかについては完璧に知っている(つまり、メアリーの脳は赤を見ることを概念的に理解している)というわけです。ところがある日部屋の壁が突然壊れ、メアリーは色彩豊かな野原に走り出て生まれて初めて赤い花を見ます。まさにこの瞬間メアリーの脳は、「赤い花を見るということは実はこういうことだったんだ」という質感(クオリア)を理解するであろう、というのがジャクソンの主張です。言い換えれば、メアリーの脳が概念的に理解することと質感を伴った体験的理解をすることは全く異なるのだ、という指摘でもあります。この質感を伴った理解こそが意識でありクオリアです。
実は赤い色を見たときに脳が感じる質感というのは、クオリアとしては比較的単純な部類に属します。脳科学者でソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャーの茂木健一郎氏は、より高度で多様なクオリアの存在を指摘しています。茂木氏によれば、「チョコレートを食べたときの滑らかな舌触り」、「庭の片隅に咲いたバラの、深紅のビロードのような花びら」、「みかんの皮をむいたときのみずみずしい香り」、「洗い立てのシャツのシャキッとした肌触り」、「朝、窓辺でさえずる小鳥たちの声」などは全てクオリアです。さらに茂木氏は、感動的な映画を見終った時や優れた小説を読み終えた時のように、一定の時間ある経験に晒された脳が感じる「独特の質感」もクオリアであると述べています。すなわちクオリアとは、何かを見たり聞いたりした瞬間に脳が感じる質感だけでなく、長時間にわたる体験、経験を通して脳内にじわりと広がる質感も含めた包括的な概念であることが分かります。
今日のマーケティングが、モノを売ることから体験を売ることに軸足を移しつつあるのは、クオリアを志向する時代の流れと密接に関連していると考えられます。日産自動車は、「モノより思い出」というキャッチフレーズでセレナ(ファミリー向けワゴン)の広告宣伝を展開して
います。シャープの薄型液晶テレビAQUOSの宣伝で、吉永小百合さんは「リビングは環境です」と語りかけてきます。ホテルリッツ・カールトンは最新の情報システムを導入していますが、訓練されたスタッフによる徹底したハイタッチな接客により、宿泊客は情報システム(機械)の存在を全く意識することはありません。商品やサービスそのものを売るのではなく、商品とサービスを統合し独自のクオリアを創出するマーケティングが今まさに求められていると言えるのではないでしょうか。
参考文献:「脳の中の小さな神々」茂木健一郎 柏書房