リーダーシップの本質


“我が社のトップの発言には、リーダーシップが全く感じられないよ”、“うちの会社にはマネジャーは大勢いるけどリーダーはほとんどいないなあ”、“社員一人一人がもっとリーダーシップを発揮しないと会社全体が世の中から取り残されてしまうぞ”・・・。企業において、今ほどリーダー及びリーダーシップの重要性が叫ばれている時代はないのではないでしょうか?現代経営論の要諦の一つとなったリーダーシップ。その一方で、リーダーシップに関する明快な定義はなかなか見当たりません。実際リーダーシップに関する文献を3000以上も調査検討したストッグディル(Stogdill)は、「リーダーシップの概念を決定しようとした人と同じぐらい多くの異なったリーダーシップの定義が存在する」と述べています。
カリスマ的リーダーであるジャック・ウェルチ氏の下で飛躍的な成長を遂げたゼネラル・エレクトリック社(GE)は、リーダー育成プログラムの中でGEが求めるリーダーの条件を以下のように定義しています。
GEが求めるリーダーの条件
1) リーダーとしての明確なビジョンを持つ
2) 情熱を持ち結果を出す
3) 部下をリーダーとして育成する
4) 常に変革する
5) スピードを持って業務に取り組む
6) チームワークを大事にする
7) 企業倫理を遵守する
8) 高い品質を追求する
これら8つの条件を注意深く眺めてみるといくつかの疑問点に気づきます。まず第一に、組織のリーダーであるか否かを問わず、良き企業人として当然持つべき意識と考えられるものが相当数含まれている点です。具体的には2)情熱を持ち結果を出す、5)スピードを持って業務に取り組む、6)チームワークを大事にする、7)企業倫理を遵守する、8)高い品質を追求する、などの項目がこの範疇に属します。これらは企業のリーダーであるか否かに関わらず、社員として当然心掛けるべき基本といえます。第二に、リーダーというより組織のマネジャー(管理職)として担うべき責務というものも含まれています。具体的には3)部下をリーダーとして育成する、がこれに該当します。かくして“リーダーの8つの条件”から、①良き社員としての条件、②良きマネジャーとしての条件を引き算すると、最終的に残るのは1)リーダーとしての明確なビジョンを持つ、4)常に変革する、の二つということになります。すなわちGEが求めるリーダーの条件を煎じ詰めると、「ビジョンの提示」と「変革の推進」の二つがリーダーだけの専売特許ということになりそうです。
確かにGEのジャック・ウェルチ氏や日産のカルロス・ゴーン氏のような、トップダウン型の強力な指導力を発揮して企業を成功へと導いた経営者こそ典型的リーダーであるとするならば、ビジョンの提示と変革の推進こそまさにリーダーシップの本質のようにも思えます。しかし冒頭に挙げた例のように、今日リーダーシップは経営トップだけに求められるものではなく、社員一人一人がそれぞれの持ち場において発揮すべきものという考え方が普遍化してきています。一般社員が発揮すべきリーダーシップということになると、ビジョンの提示、変革の推進というのはスケールが大きすぎてしっくりきません。かくして、「一般社員の持つべきリーダーシップの本質とは何なのか?」、という疑問にぶつかります。この本源的問いに対する筆者なりの答えは“信念力”です。信念力というのは筆者の造語で、「どのような困難があろうとも信念を持ち続け、それを現実に変えてしまう力」というのがその定義です。以下本稿では、「なぜ信念力がリーダーシップの本質なのか?」について論じたいと思います。
リーダーの原義は「他の人の先頭に立って、他の人を導く人」ですが、別の見方をすれば、「他の人が、後をついて行きたくなるような人」でもあります。ではなぜ、他の人たちはリーダーについて行きたくなるのでしょうか?リーダーに先見性があるからとか、リーダーの人格が魅力的だからとか、色々理由は思いつきます。しかしよく考えてみると、現代のように先が読みにくい時代に未来を予知することは殆ど不可能に近いわけですし、人格が高潔だからといって必ずしもリーダーとして頼もしいとは限りません。つまり私たちは、リーダーを選ぶ際に先見性や人格を最重視しているわけではなさそうです。そうではなく実は、他の人にはない「未来のあるべき姿への強い確信」を有する人をリーダーと認知するのです。この確信こそが筆者の定義する信念力の源泉です。
ホンダの創業者である本田宗一郎は、まさに信念力の権化のような人でした。宗一郎は小学校しか出ていないにも関わらず、独学で機械やエンジンについて学びホンダを創業しました。原付自転車からスタートして二輪車事業に参入し、スーパーカブを作って大成功を収めました。しかし彼の積年の夢は四輪車を作ることであり、四輪車で世界のホンダになることでした。時は1961年、彼の夢は大きな危機に直面します。通産省が特定産業振興臨時措置法案(特振法)を起案したのです。特振法には四輪車市場への新規参入を禁止する内容が含まれていました。当時通産省は四輪メーカーの乱立を防ぎ、国内の過当競争を阻止しない限り、日本車はアメリカ製に太刀打ちできないと考えたのです。特振法が通れば、四輪車を作る夢は永遠についえてしまいます。激怒した宗一郎は特振法の立法化に猛然と反対し、お上である通産省に正面きって反抗しました。 そしてついにその年の冬、宗一郎は当事の通産事務次官で天皇と異名をとった佐橋滋との直談判に及びました。
(宗一郎)「ずばりお尋ねします。本田技研は四輪車を作るな。そうおっしゃるのですね」
(佐橋)「まあ、はっきり言ってしまえばそういうことです。アメリカのビッグ3に対抗するには、日本の自動車メーカーなど二、三社でいい。新規参入を許す意味も必要もありませんよ」、「それに、ホンダさんは二輪車だけでも企業として十分存続していけるでしょう」
(宗一郎)「ふざけるなあっ! うちの株主でもないあんた方に、四輪車を作るななどと指図されるいわれはないっ」
(佐橋)「しかしね、本田さん。貿易の自由化は目の前だ。それまでに日本の四輪業界の体質を強化しておかないことには―」
(宗一郎)「あんた方役人に何がわかる!? オートバイだって外国製品に立派に太刀打ちできた。厳しい競争があるからこそ、企業は必死になって努力するし、成長もするんです。自由競争のみが、競争力強化の真の手段なんだ」
(佐橋)「オートバイと自動車は別ですよ。あなたはフォードやGMに勝つ自信がおありですか?」
(宗一郎)「あるに決まっているでしょう。オートバイでやったことを自動車でもやるのです」
かくして通産省と決裂した宗一郎は、ついに実力行使に出ます。特振法が成立する前に四輪車製造の既成事実を作ろうとしたのです。 宗一郎の至上命令を受け、ホンダ社内ではすさまじい勢いで四輪車の開発が進められました。 かくしてホンダの四輪車第一号であるT360は1962年6月に発表され、同時に軽四輪スポーツカーのS360が華々しく登場しました。
本田宗一郎の逸話はとても多くの示唆に富んでいますが、筆者が特に興味深く感じるのは「オートバイで成功したんだから四輪車だって絶対に成功させられるはずだ!」という彼の信念です。論理的に考えればオートバイで成功したからと言って四輪車でも成功する保証はどこにもありません。大学で専門知識を学んだ機械技術者であれば、「四輪車の方がはるかに技術的に高度で複雑だ。オートバイとは訳が違う」と怖気づいてしまいがちです。しかし宗一郎の思考回路は違いました。How(どうやれば出来るか)からではなく、What(何をなすべきなのか)から考えたのです。HowからではなくWhatから考える、これが信念力を持つ人の思考特性です。
本田宗一郎は稀有な経営者です。非常に特殊なケースと思われる方もあるでしょう。しかし日本企業においては、中間管理職や一般社員の立場でありながら、信念力を武器に素晴らしいリーダーシップを発揮している人たちが大勢いると筆者は考えています。例えば、キリンビバレッジにおいてキリン「生茶」の大ヒットを生み出した宮代清尚もその一人です。
1998年当時、キリンビバレッジには有力な緑茶飲料がなく他社の後塵を拝していました。当時のトップブランドは伊藤園の「お~いお茶」であり、緑茶市場全体の約5割という圧倒的シェアを誇っていました。宮代は考えあぐねた末、「格差」と「異質」という商品テーマに行き着きました。「先行ブランドを圧倒的に凌駕する品質感」を達成することをゴールに据えたのです。
(宮代)「私の考え方の基本としては、皆がやっているようなものはやりたくないというのが前提にありました。要は、私どもの会社というのは、世間的に言うと三番目の会社であると。日本コカコーラさんがあって、サントリーさんがあって、キリンビバレッジがあると。もしくは、その頃はアサヒ飲料さんや大塚製薬さんも同じくらいのランクにいましたので、三位グループであるというときに、私たちがミーツーの商品を作ってしまうと、結果的に短期の数字は取れるかもしれないけれど、長期的に会社の資産が上がる訳ではないのです。または、そこに投資したときの投資回収効率がよいわけでもないということで、私たちはチャレンジャーというポジションをきちんと取らないといけません」、「今までにない新しい価値を緑茶で作っていこうというのが、表現に対するコンセプトです。表現については、いかに斬新な見せ方ができるかということを考えました。一方、中身については、大人の方に飲んでいただけるように、家で淹れた緑茶を目指そうということで、味作りについてはいかに本格的な味を作っていけるのかを考えました」
かくして、従来の緑茶飲料とは明確に異なる「格差」を生み出す上で、家で淹れるお茶の味にいかに近づけるかが鍵となりました。化学的には緑茶の中にはテアニンとカテキンが含まれていて、テアニンが緑茶の旨みであるのに対してカテキンは渋みや苦味の元になっています。そこで開発チームでは、テアニンを多く含みカテキンを抑えた緑茶を作ろうということになりました。その目的を達成するために、まず「茶葉」については最終的に1000種類の茶葉を検茶して最良のものを選ぶこととしました。
(宮代)「朝来るとお茶がいっぱい並んでいるのです。一杯飲む分にはお茶はおいしいのですが、何杯も飲んでいるとつらくなるんです。しかも、緑茶にはカフェインが入っていますから、カフェインを取りすぎると体調が悪くなりますし、利尿作用があるのでトイレが近くなります。毎日お茶ばかり飲まされ、体はいつもつらく、結構地獄のような日々を送りました」
こうして選んだ最良の茶葉は、価格が従来の倍から五倍もするものになってしまいました。社内からは当然の如く「ふざけるな」と言わんばかりの反応が返ってきました。資材部ともめにもめながらも宮代は決して諦めず忍耐強く説得を行い、最終的には開発チームの方針通り、国産茶葉の玉露入りを使用することが承認されました。また開発チームは、淹れ方にも徹底的にこだわりました。チームが実験を重ねた結果、カテキンやカフェイン、タンニンがあまり出てこない最適温度は60度辺りということが見えてきました。最終的にチームは抽出温度を59度に設定すべきという結論を出しました。しかしこれによって、生産部門との大衝突が起きることとなったのです。生産部門としては生産効率が第一であり、高い温度で抽出すればするほど抽出効率が上がり、短時間で作れるので生産効率が高くなります。従来キリンビバレッジでは80度くらいで抽出しており、他社も大体85度~90度で抽出していました。当然生産部門と激しいせめぎあいとなりました。
(宮代)「とにかく説得です。怒鳴りあってしまうと、次の商品を作ってもらえなくなりますから(笑)。けんかはしません。常に、社内営業というのが私たちのスタンスですから。それをやることと、きちんとロジカルに説得するというのが、まず一歩です。それから、最終的にそこの折り合いをつけるときには、どちらが会社にとって重要かという判断で、経営陣に判断を仰ぐというスタンスです。」
こうして最終的には社長決裁により59度という抽出温度が決定されました。数々の困難を乗り越えキリン「生茶」は2000年3月21日に発売されました。生茶は発売後11日間で60万ケースという驚異的な出足を見せ、2000年合計で2250万ケースの販売数を獲得しました。この結果緑茶市場においてキリンビバレッジの2000年シェアは23.7%に達し、日本コカコーラ(12.8%)を抜き、伊藤園(35.3%)に次ぐ2位の座を獲得したのです。
本田宗一郎と宮代清尚は、性格も人格も非常に違います。宗一郎は激昂するタイプですが宮代は沈着冷静です。宗一郎はトップダウンで物事を進めますが、宮代は社内を粘り強く説得して合意形成を図ります。両者が置かれた立場の違いにより、アプローチが違うのは当然です。しかし両者に間違いなく共通しているもの、それが信念力であることについて、ここまで読んで下さった読者の中に異論のある方はいないのではないでしょうか。(文中敬称略)
参考文献:
官に逆らった経営者たち
http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/keieisha.html
「キリン「生茶」・明治製菓「フラン」の商品戦略―大ヒット商品誕生までのこだわり」
長沢 伸也 ・川栄 聡史 (著) 日本出版サービス(2003)
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