企業再生って、実は...。(その1)


「企業再生ブーム?」
世の中企業再生花盛りである。ダイエー、三菱自工、双日、大京などなど・・・。「産業再生機構」なんていう変わった名前の組織(実は株式会社)が有名企業だったりするご時世である。ついでに言えば、「日本プロ野球機構」なんてのも今年は一躍有名になったりして、2004年は「機構」ブームだったようである。
これだけのブームにも関わらず、企業再生の実態はなかなかよくわからないものである。最近では「プロジェクト●」とか「●●●の夜明け」などでドキュメンタリーとして紹介されることもあるが、これはあくまでわかりやすく、暗いニュースの多いご時世に元気のでるように編集されたものでなければならないので、実のところ我が手で企業再生に携わる方々にとってはあまり参考にならない。個人的には、「島耕作」の方がリアリティーを感じてしまう。
企業再生と一口に言っても、その程度は実に様々である。事業の収支改善レベルから、大リストラ、「機構送り」まで色々な病状がある。しかし、本当に来期はないかもしれない、というような危機的状況からの企業再生の現場に立ち会うことは、金融機関にお勤めとかでなければなかなかないだろう。私自身、コンサルタント時代からこれまでの間に50数社と経営課題についてお付き合いさせて頂いてきたが、「真性」企業再生の現場に居合わせたのは、4度しかない。ここでは、企業再生のあるべき論ではなく、数は限られるが、私が実際に目の当たりにした実体験から、企業再生の正否を決めた現場の実感をご紹介したい。
「企業再生って、実は『個人技』」
いきなり書いてしまうが、企業の再生は、全社を巻き込んだ組織の力を結集して成功する、というのは幻想である。私が実際に見たものは、ことごとく特定の個人の力で再生に向かっていたのである。実務的に考えると、決して組織としての力を否定するものではないが、そもそも会社の組織の力というものは大きな変革に活用するには不向きである。会社組織は、元々オペレーションを顧客に対して間違いなく遂行出来るように設計されているものであり、言ってみれば人体のように健康を維持する機能が組み込まれている。すなわち組織は通常時であれば、少々力がかかっても強い復元力を発揮するものであり、また外部環境の変化に対してもゆっくりとした適応しか出来ないものなのである。そもそも組織で取り組もうとしても、待ったなしの「真性」企業再生の現場では、その「抗体」の抵抗力が働いてしまうので、遅々として進まなくて当たり前なのである。
では、会社全体が果たして個人技で変われるものなのだろうか?その答えはYesである。適切な例えかどうかは定かではないが、イメージで言えば「遺伝子治療」といったところであろうか。再生のためにやり遂げねばならないことに徹底的に確信を持つ個人(場合によっては複数だが、「○○チーム」のように組織化されていない)を組織の中に埋め込むのである。そして、彼が一つ一つの細胞のDNAを書き換えてコピーを作るのである。当然のことながら、組織という人体は、異物を排除するための抗体反応(=副作用)が激しく起こる。いわゆる、組織の軋轢である。この軋轢にもとことん屈せず、戦い続け勝ち続けるのが個人の力量であり、企業再生の正否を握るのである。ただ、彼が主張する、本来再生のためになすべきことというのは、企業が生き残るために常に「正論」であるから、ここで求められる力量というのは、特殊なものではなく、抵抗勢力に対して正義を貫けることなのである。つまり、現状を維持しようとする相手には徹底して、「Why?」を繰り返して詰め寄るのである。大前提は待ったなしの状況である以上、現状のままでよいはずはなく、究極の二者択一、すなわち再生への活動に同意するか、あるいは同等の代替案を出すしかないのである。前者であれば、抗体反応は少しずつ弱まり、後者であればさらに再生を真剣に考える個人がまた増えるわけで、なお宜しい。こうして組織の体質は、徐々にしかし確実に変わるきっかけをつかんでいく。
これが個人技の再生の基本メカニズムである。