選択と集中の虚実


勝ち組企業の経営戦略として、最近頻繁に新聞・雑誌等に登場するキーワードに「選択と集中」がある。日本経済新聞社が実施した「2003年主要商品・サービスシェア調査」(7月26日付日経新聞掲載)によると、韓国のサムスン電子グループが、携帯電話端末で世界第3位、フラッシュメモリー世界第1位、TFT液晶パネル世界第2位、プラズマパネル世界第2位、DRAM世界第1位と、主要デジタル関連製品5品目で世界トップ3の座を占めた。サムスン電子グループと言えば、1997年に韓国経済を襲ったIMF危機を乗り越えるため、思い切ったリストラと「選択と集中」を進めた企業である。その結果2003年の経常利益は6000億円を超え、日本の総合電気メーカーの経常利益合計額を上回っている。サムスン電子の選択と集中戦略は非常に徹底していて、例えばフラッシュメモリーでは携帯やデジタル家電に使われるNAND型の製品だけに集中投資し一気に世界シェアを高めている。
こうした海外企業の成功事例を見て、日本企業でも「選択と集中」戦略を標榜する企業が増えてきている。しかし筆者は、これはあくまでも建前であって、日本人経営者の本音は相変わらず「選択と集中は悪」ではないかと感じている。例えば景気回復の起爆剤ともなっている新三種の神器、薄型テレビ、デジカメ、DVDであるが、実は「選択と集中」してこなかった事が、結果的に今日の成功に結びついたと考えている経営者は多い。大型液晶TVで世界シェアNo.1の座にあるシャープも、「液晶はお荷物」と揶揄されたつらい十数年をエンジニア達が必死に耐え抜いて、ついに高品質、低価格の大型液晶パネルの量産技術を確立したと言われている。また斬新なデジタル製品で業績好調なカシオは、一時デジカメ、携帯電話、PDA(携帯情報機器)の3事業に分散していた研究開発投資をPDAに一本化する戦略を取ったことがある。ところが集中したPDA事業は芳しくなく、選択しなかったデジカメ、携帯が逆に大きな成功を収めて、今ではカシオの屋台骨になっている。
ここでちょっと不思議なのは、選択しなかった携帯電話やデジカメをカシオはなぜ商品化できたのか?という点であろう。これは実は「ヤミ研」の賜物のようだ。ヤミ研とは日本企業ではよくあるアンダー・ザ・テーブル型R&D(非公式な研究開発)のことで、会社としてはやめたはずなのになぜか研究され続け、ある日突然「社長、出来ちゃいました!」と披露される技術や製品を指す。真相は、本部長や部長が見て見ぬふりをして研究開発を黙認しているのだが、経営トップからは見えない研究なのでヤミ研と呼ばれる。
苦節10余年の末に大成功したり、ヤミ研で画期的な製品が出来たりするので、日本の経営者としては諸手を上げて「選択と集中」礼賛は出来ないわけだ。こうなると「選択と集中」は、日本では必ずしも有効ではないことになり、単なるブームとしてその内忘れ去られてしまいそうである。が、果たしてそうであろうか?
筆者は、欧米流の「トップダウン型白黒決着経営」と日本的な「ボトムアップ型曖昧模糊経営」は、実はあい矛盾するものではなくむしろ相互に補完しあうものと考えている。補完関係を読み解く鍵は、選択の“範囲”と集中への“アプローチ”をどう捉えるかにある。
事業の選択を行おうとする際、“そもそもどこに狙いを定めるか”という大きな問題がある。一つは、そもそもどんな製品(製品群)を手がけるのかという選択で、自動車、アパレル、家電、食品など大きな製品カテゴリーを選んだ上で、さらに自動車の中でも乗用車なのかバス・トラックなのか、アパレルでもファッション系かスポーツカジュアル系かというように、ピンポイントした選択を行う必要がある。もう一つはバリューチェーン上のどこを選択するかという問題で、アパレル事業の場合でいうと、糸作りからやるなら紡績業、色や形を決めるならデザイナー、縫製・染色なら製造業で、店舗運営なら小売業ということになる。ここで難しいのは、どこまでピンポイントした選択を行うのかという点である。選択の範囲が広すぎる場合、例えば「当社は情報通信業を選択した」と言ったところで、その範囲はソフトやハード、ネットワークやコンテンツに至るまであまりに広範で、選択したことには全くならない。その一方選択の範囲が狭すぎると、経営の自由度を奪ってしまい身動きが取れなくなる恐れがある。例えば、ブロードバンドネットワーク事業をやるとして、ADSLはやらずに光ファイバーだけに絞るとか、あるいは逆にADSLだけに特化すると、価格や性能の面でサービスが限られてしまい、結果として顧客ニーズを捉えきれないリスクがある。こう見てくると結局、選択の範囲の定め方が戦略の成否を左右することが分かる。
一方集中に関しては、トップダウンによる集中かボトムアップによる集中かの違いが重要だ。トップダウン式の意思決定で、何に経営資源を集中するかを決める場合、事業の実態が経営トップによく見えていることが大前提である。先ほどのカシオの例で言えば、経営トップは携帯電話、デジカメ、PDAという三つの選択肢の中でPDAを選択し、そこに経営資源を集中したが結果的にはうまくいかなかった。一方現場の技術者やマーケッターは、携帯電話やデジカメの可能性を信じ、ヤミ研で何とか凌ぎながら製品を完成させ事業成功に導いた。このことはつまり、経営トップに見えていなかった顧客ニーズを現場の担当者は肌で感じ、それを頼りに自分たちの持てる経営資源(=ヤミ研で許容された範囲の時間と金)を集中させたと見ることができる。これを筆者はボトムアップ的集中と呼びたい。シャープの液晶事業についても、現場の技術者が「難しいが、絶対何とかなるはずだ!」という皮膚感覚があったからこそ、苦節10余年を耐え抜くことが出来たのであろう。なかなか芽が出ない事業をひたすらやり続けてついに結果を出す、これもまたボトムアップ的集中の賜物である。
市場が成熟化しグローバルな競争が激化する中で、企業が勝ち残っていくためには自社の強みを徹底的に研ぎすまさなければならない。その意味で、経営資源を特定分野にフォーカスする「選択と集中」戦略の有用性を否定する経営者はまずいないだろう。問題は、それをトップダウン、かつピンポイントでやり過ぎることだ。日本的経営の知恵は、その盲点に早くから気付き、それを暗黙知的に回避してきたのかも知れない。しかし、日本人だけで日本企業が構成されていたこれまでとは違い、グローバルに事業展開する日本企業には今後世界中の優秀な人材がどんどん入社・登用されていくはずだ。そうなれば、暗黙知的な経営を全社的に共有するのは加速度的
に難しくなっていく。欧米流のメリハリ経営と日本的な曖昧経営を融合し、新たな経営モデルを創ることが今まさに求められているのではないだろうか。
高井 正美
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